中々寝付けなかった。
君主のめでたい席にでなかったという罪悪感と馬岱の言葉が何度も眠りを妨げる。
何度か机に置いていた飲用水の瓶から水を口に含み、モヤモヤとする気持ちを抑えようとした。
不安や苛立ち、への想い。
全てが馬超の上にのしかかる。
「(何をしても寝れんな)」
きっと今夜はこのまま寝れないだろう。
馬超は寝台から降りると、机の隅に置いてある翡翠の耳飾りを手にとった。
金属部分は錆びたものの、石の緑色の輝きは昔と変わっていない。
掌に乗せていると昔を思い出す。
「楊…」
『これを…私に?』
町に行った時、たまたま装飾品を売りに来ていた旅商人がいた。
その中でも一際輝く耳飾りが目に入る。
淡い緑色がまるでお前のようだったから。
娶ったばかりのお前に似合いそうだと、その耳飾りをすぐに買ってお前に渡した。
『嬉しいわ…あなた』
自分も嬉しかった。
まだあまり喋りもしなかったその頃、お前の笑顔は貴重な一瞬だったから。
優しい微笑みを自分に向け耳飾りを大事そうに手に包み、楊はそっと自分に体を預けた。
『これから…このまま幸せでいたいものです』
そう言っていたのに。
楊は殺された。
後に分かったことだが曹操の内通者が自分の城中にいたらしい。
楊との間にできた我が子も殺され、父も弟も殺され、悲しみに暮れた自分に届いたのは血まみれの翡翠の耳飾り。
今ではもう錆びついてしまったが…まだその血の後が耳飾りに残っている。
馬超は唇を噛み締め耳飾りをそっと胸にあてた。
お前の笑顔と同じような微笑み方をする少女が現れたんだ。
どうしてもお前が重なって見える。
確かに微笑む顔はお前に似ている。
だけど、お前とは似てない違うところも好きなんだ。
たまに見せる悲しそうな顔、泣きそうな顔を見るとその少女を守ってやりたくなる。
怒るとからかいたくなるし傍にいてやりたいと思う。
お前とは違って餓鬼っぽいところ。
何気にお節介なところ。
そんなが好きだ。
それでも自分はお前の面影を愛しているのだろうか?
馬岱の言う通りなのだろうか?
これからにどんな顔をして会えばいいのか分からない。
「なぁ、楊。俺はどうすればいい?」
後「お前意外の女を好きになった」と言ったら、お前はどう思う?
こんな俺を恨むか?
そっと問いかけていると、床にじん…と振動が伝わった。
誰かが廊下を歩いて来ている。
馬超は耳飾りを机の隅に置くと暫くその足音の行方を聞いていた。
その足音はぴたりと馬超の部屋の前で止まる。
馬岱か?と思っているとこんこんと扉を叩く音が静かな部屋に響いた。
「誰だ?」
「あの、です。」
「なんの用だ?」
「孟起さんのお見舞いに来たんです。」
「…今開ける」
どんな顔で会えばいいのか分からず、今はきっと会いたくないはずなのに。
体が勝手にを部屋に招いた。
はというと見覚えのない茜色の服に身を包んでいて、宴から持ってきたと思われる食べ物を机の上に並べた。
粥は別として、肉や魚、野菜に果実が色合いよく皿に盛ってある。
「孟起さん大丈夫ですか?なんだか顔色悪いですよ?」
「すまんな…少し体調が悪いだけだ」
「そうだと思ってちゃんと栄養を考えてバランスよくお皿に盛ってきましたよ」
「ばらんす」やら「びたみん」やら「たんぱくしつ」など意味不明な単語ばかりをぶつぶつ言っている。
こうやってわざわざ食事を持ってくるというところがお節介なのだが、…正直嬉しい。
じっと皿の中を見ているとが少し眉をハの字にして何か言いたげにしていた。
「どうした?」
「…食欲ないなら言ってくださいね?」
「いや、ある。食わせてくれ」
「私がですか?!自分で食べれますよね?」
「頭が痛い。手が動かない。粥がほしい。」
「…はいはい!口開けてください!」
わざと駄々をこねるとは仕方がなくレンゲを使って粥を馬超の口に入れた。
ちょっとぬるいが丁度いい塩加減だ。
「少し冷めてるんですけど…」
「美味いからいい。」
「料理長の人が孟起さんのためだけに作ってくれたんですからね、美味しいはずです」
「ほう……で、その誘ってるような服は呉からの服か?」
「さ、誘ってないですけど、呉の方々からもらいましたよ。…ちょっと寒いですけど」
「似合わないな、お前」
「やっぱり言うと思ってましたよ…でも本当に変かも」
星彩とか月英さんの方が絶対似合いますよね?と、が苦笑しながら服を見て言った。
いつもどこか幼く見えるが呉の服を着ると何故か大人っぽくなるから可笑しい。
馬超は喉で笑うとが「笑うことないじゃない」と少し眉間に皺をよせてそっぽを向いた。
その怒り方がやっぱり餓鬼っぽい。
「馬鹿、嘘だ。ちゃんと似合ってる」
「……?」
「なんだよ」
「今褒めたんですか?」
「貶したように聞こえたか?」
「いえ!……私を褒めるなんて明日は嵐がきますね…」
「…お前の中の俺はそんなに酷いのか」
「だって一度もいいことなんて言ってませんもん」
さりげなく言っているような気もせんがないが…。
馬超は溜息をつくとの頭をポンポンと叩いて「次の粥」と言って催促した。
暫く他愛無い会話をしながら食事を済ませると、が食器を持って椅子から立ち上がった。
皿に残った人参が揺れる。
がどこかに行く、と思うと急に寂しさがこみ上げてきた。
まるで母を恋しがる餓鬼のようで「こんな年して…」と自分で呆れてしまう。
「もう行くのか?」
「だってもう遅いし、孟起さん私がいると邪魔でしょ?」
「……」
「それに食器返さなきゃ料理長さんが困ってしまうし…」
「なら俺もついていく。」
「体調が悪いのに行くんですか?」
「…多分もう治った」
「ダメです!ちゃんと寝てないと。」
そう言って馬超を寝台に押し返すとは食器を持って「お大事に」というと、
馬超の傍から離れた。
そして部屋の入り口の方へ向かって歩いていく。
「ちょっと待て」
扉を少し開けかけているを呼び止めると、馬超は寝台から降りてから食器を奪った。
はまた眉間に皺をよせて「何してるんですか!」と扉を開けて出ようとしている馬超の服を引っ張った。
「やっぱり俺も行く。…ダメか?」
「…別にいいですけど、また体調悪くなってもしりませんよ?」
「そこまで柔じゃないぞ、俺は。」
そう言って部屋から出ると、を連れて食堂へ向かった。
少し肌寒い風が廊下に入りこんでいる。
は「へっきし!」と小さくクシャミをすると、しゅんっと鼻を啜った。
よく見ると呉の服はところどころ露出していてやや寒そうだ。
「大丈夫か?」
「平気です」
「この上着貸してやろうか?」
「………」
そう言った途端、が黙る。
確かお気に入りの深緑の上着をにやったが、嶺禮が奪ったと言っていたのを思い出す。
一体嶺禮はどこに上着をやったのやら…。
馬超は「前にやった上着のことは気にするな」と言ってに笑いかけた。
だがは曖昧な笑みしか返さなかった。
よほどあの上着のことが気がかりらしい。
まだ上着なんていくらでもあるんだぞ?と言ってもずっと黙ったまま。
黙ったまま食堂につくと、馬超はと一緒に料理長のところへ行くと食器を渡した。
水場を見たが皿が山のように重ねて置いてあるところから、まだ宴の後片付けが終わりそうになかった。
黙っていたがそれを見て「手伝いましょうか?」と聞くと「滅相もない!」と料理長が慌てて言った。
「水仕事は肌が荒れます故、この私めどもにやらせてください。」
「そ、そんな肌なんてどうでもいいですよ?」
「なりません!」
ピシャ!っと言われ、もここは大人しく引き下がった。
何気に料理長は怖い。
と馬超は食堂から出ると、次はの部屋に向かった。
途中「ヘックシン!」とが2回目のクシャミをする。
「やっぱり寒いんだろ」
「…少し。」
あはは、と苦笑するに羽織っていた上着を着せた。
少し丈が長くてダラン、と袖が垂れているが寒いよりかましだろう。
「ありがとうございます」とが小さく言ったのを聞いてちょっぴり嬉しくなった。
『あなた』
「?!」
その時一瞬廊下に響いた懐かしい声。
馬超は「まさか」と思いつつ立ち止まって辺りを見渡した。
庭に焚いてある松明の炎で廊下が照らされているが…何もいない。
隣にいたが不思議そうな顔をして「どうしたんですか?」と聞いた。
「いや、なんでもない。」
そんなはずはない。
もう楊は死んだんだ。
幻聴まで聞こえ出すとは…俺は異常か?と嘲笑すると不安そうに見上げるに小さく笑った。
が見てない時にもう一度あたりを見渡してみたが、それらしいものは見つからなかった。
目的地であるの部屋の前につくと、はぺこりと馬超にお辞儀をした。
「孟起さん、ここまでついてきてくれてありがとうございました。」
「ならもっと感謝しろ。」
「…もう!やっぱり嫌な人!」
「冗談だ。本気にするなよ」
部屋の扉に手をかけつつ「孟起さんの馬鹿!」と言ってきたが可愛い。
もう一度何かからかってやろうかと思っていたが、どうやら眠たそうだったので今日はこの辺にしておくことにした。
「あ」と上着を脱ごうとするに「その上着はお前にやる」と言って自分の部屋に続く廊下を歩きだした。
「孟起さん、明日劉備さんにちゃんとお祝いの言葉を言ってくださいよ?」
「もちろん。じゃあな」
そう言って、ヒラヒラと手を振ってその場を後にした。
「なんだか最近の孟起さんって変かも…」
去っていく馬超の背中を見ていると出会った当初の馬超が脳裏に浮かんでくる。
あの時に比べると今の馬超はどこか気持ち悪い。
まさか自分に向かって笑顔を見せたり、上着を貸してくれたり…。
何か変なものでも食べたのではないだろうか?
それとも李と何かあったのか。
「きっと李さんに殴られたんだ〜」と思いっきり勘違いしているの目に、
キラリと光る何かが映った。
それには見覚えがある。
「あれ?これ孟起さんの机にあった耳飾り…?」
なんでこの廊下に?とその耳飾りを拾って手のひらに乗せてみた。
前に見た緑色の石が綺麗なまま付いている。
もしかして、耳飾りではなくあの派手な兜の装飾品だったりするのだろうか?
「今日は遅いし…明日にでも届けようかな?」
ふぁ…と1つ欠伸をするとその耳飾りを持って部屋に入った。
明日は手紙を解読しなくてはいけないし、文字も覚えなくては。
は耳飾りを机の上に置いていつものように黄色いパジャマを持ち、
隣の部屋にいる李のところへ湯浴みを頼みに行った。
その時、耳飾りが暗闇の中で青白く光っていたことは誰も知らない。


アトガキ
馬超さんの妻さん登場!
妻思いの方っていいですよね…なんて思ってみたり。
あの耳飾りは妻のものでしたということで。
なんだか何書いてるんだか分かっていないv汗
作文苦手な私がこの作業に手を出したのが悪いのか…汗
これからはホラー傾向かも?!汗(ぇ
ってことで、次からは呉がウジャウジャと出てくるはずです。
2007.3.8(Thu)