尚香と劉備の結婚の話は成立。
式は呉で行うことになり、日取りも桃が咲き始める時にと決まった。
孫権は納得いかない顔をしていたが、孫策が「めでてぇことなのにしけた面するんじゃねぇ」と言ってなんとか納得させた。
だが素直に祝福はできない。
たとえ呉の天下のためとはいえ、大切な妹を政略に使いたくはなかった。
はっきり言って陽気に祝福している兄の孫策の気が知れない。
周瑜も周瑜でさりげなく天狼の姫について聞き出そうとしていたが、諸葛亮の巧みな話術によってひらりとかわされていた。
諸葛亮はなかなか天狼の姫について語ろうとはしない。
もちろんその他蜀の者も。
皆口を揃えて「あの方はいい方です」としか言わなかった。
あとわかるのは名前くらいか。
「(陸遜が上手く情報を入手してくれたらいいのだろうが…)」
できたら呉に引き入れたいものだが、容易なことではないだろう。
いや…無理に近いかもしれない。
…少しでも彼女についての情報を得たいものだ。
孫権は隣に周泰を連れ夕日に照らされる廊下を歩いた。
城の屋根の上から見える茜色の夕日がわずかながら沈んでいく。
すると孫権達の前から嬉しそうに歩きながらと趙雲がやってきた。
趙雲の手には呉からへの贈り物があるところを見るところから、
もう陸遜とは会ったようだ。
孫権がじっと見ているとも気付いたらしく、急ぎ足でこちらに来てちょこりとお辞儀をした。
「孫権さん…でしたよね?」
「ああ。あと隣にいるのが周泰だ」
「とても背が高い方なんですね!」
「……」
が珍しそうに周泰の周りをぐるりと一周するのを孫権は苦笑して眺め、純粋な子供だなと思った。
周泰の方はいつものように無表情だがどこか気恥ずかしそうにしていた。
「高い高いされたら物凄い高さになりますよね!」と、にっこりと笑って周泰のつま先から頭を見上げた。
「殿、もうそろそろ行かなければ…」
「あ、分かりました。…少し待ってください」
は周泰の傍から離れ趙雲にごめんなさいと小さく謝ると、
孫権に向き直って深々とお辞儀をした。
「贈り物、ありがとうございました。大切にします」
「そうかそうか…あの中には呉の屈指の職人達が作ったものばかりだ。帰る前に一度衣装を着たところを見せてほしい」
「私不格好なんですけど…頑張って着こなしますね」
はそれでは、とまた礼をすると趙雲と言う護衛に連れられて廊下の突き当たりの曲がり角を曲がって行った。
「いい娘だ。…そう思わんか?」
「……いい方だと思います」
「いずれは…我々の敵となるがな」
「……」
は呉の敵。
あんなに可愛く微笑む子供が我々の最大の敵なのだ。
まだ見たことは無いが天狼の姫は億の力を使う。
そんな未知な力を秘めた娘など今ここで切り捨ててしまえばよかったかもしれない。
孫権は腰に携えていた剣に少しだけ触れ、自分に尋ねてみた。
『自分の手であの娘を殺せるか?あの無垢で純粋な娘を殺せるか?』
「(…まだわからないな)」
チクチクと針のようなものが心を突く。
きっと、今の自分には無理かもしれない。
だが呉の天下のため、そういう決断をしなければならない日は絶対に来るだろう。
「…孫権様、そろそろ宴の時間です」
「なら行こうか」
他の者だったら迷わず彼女を殺せるのだろうか。
あの笑顔を見た後に殺せるだろうか?
「(天下への決心がついていないな、私は。)」
今はもう止そう。
孫権はふるふると頭を軽く振ると、周泰を連れて夕日が沈んで薄暗くなった廊下を歩いて行った。
「のところに行きたいんだが?」
「まだ書簡が5枚残ってます。」
「…馬岱、お前最近に会っていないだろう?だから少しだけ顔見に行かないか?」
「…徒兄上、私は貴方のせいで殿に会えないのですよ?…さっさと終わらせてください」
半ばキレつつある馬岱にチッと舌打ちすると、馬超は筆に墨をつけて適当に書いていった。
最初は真面目に頑張っていた馬超も書簡が何百枚もあるとなるとだんだんやる気を無くしてしまうもので。
今はもう文字なのかどうかわからない字で書簡に殴り書きをしている。
早くのところに行きたい。
その焦燥感が更に文字を不可解なものへと変えていった。
「終わった!!!!」
筆をバンッと机に置くと椅子から寝台に倒れこむ。
これでのところへ行ける。
そんなだらけた馬超を馬岱が冷ややかな目で見ると「お疲れ様です」と心無く言った。
馬超はには優しいくせに俺には酷いなと言って毒づくが、
馬岱は黙って書簡を整理するだけでなにも言い返さなかった。
あれだけ自分に文句を言う馬岱が黙るとつまらない。
「岱、お前ものところに行くか?」
「……」
の名前を出すとぴくりと肩を揺らしたがやはり無視だった。
ここまで無視されると少し腹が立つ。
「なんだよ岱、無視か?」
それでも馬岱は馬超を無視して書簡を束ねていった。
何か怒らせるようなことをしただろうか?
…いつも怒らせてはいるが、こんな怒り方は初めてだ。
「俺はもう行くからな?」
居心地の悪い雰囲気が漂う。
馬超は「今は深入りしない方がよさそうだ」と思い1人のところへ行くことにした。
黙り込んだ馬岱の横をそっと通り過ぎようとしたとき、ガシリと力強く腕を掴まれた。
「お、おい…岱」
「徒兄上」
「どうした?」
馬岱はぎろりと馬超を睨みつけて椅子から立ち上がった。
初めてみる馬岱の表情にやや戸惑いを隠せない馬超。
やはり自分は何かしたのだろうか?と今日の出来事を回想していると、馬岱がふっと手を離した。
「…すみません、徒兄上。つい手が出てしまいました。」
「いや、別にいいが…何かあったか?」
「…少々徒兄上に言いたいことがあって」
「なんだ?言ってみろ」
日ごろの鬱憤が爆発するのか?と大量の文句を予想していたが、
馬岱の口からは文句は出てこなかった。
「…前から様子が変だと気付いてましたが…殿のこと、好いていらっしゃいますよね?」
「……否定はしないが」
「何故好いてらっしゃるのか…最近になってやっとわかりはじめました。」
「?」
「殿の笑った時の顔、どこか奥方様のようですよね」
「!」
「だから好きなのですか?だから一緒にいるんですか?」
「それは…」
言い返せなかった。
今思えばずっとを妻と重ねて見ていたような気がする。
として…ではなく死んだ妻として。
どうしてもあの笑顔が似ていたんだ。
あの雰囲気も、あの懐かしい感じも。
暫く無言が続き馬岱から目線をはずしていると、
馬岱は「やはりそうですか」と呟き大量の書簡を両腕に抱えて部屋の灯火を消した。
「徒兄上、1つ言わせてください」
薄暗い中でもわかる馬岱の眼光。
まるで氷のように冷たいに瞳が馬超の目を捉えた。
「殿は殿です。…徒兄上の奥方様の代わりではありません。」
「俺は…代わりになど…」
「してますよ」
「…」
「…私は殿が好きです。」
一際強く、そして大きく響いた馬岱の声。
それが冷たく凍てついた矢のように馬超の心に突き刺さる。
「徒兄上、もしもこれからも奥方様として見られるようなら…諦めたほうがいいですよ」
「……」
「奥方様の面影を重ねられるのは…殿にとってきっと迷惑ですから」
そう冷たく言い放つと、馬岱はさっさと部屋から出て行ってしまった。
俺がずっと追いかけてきていたのは死んだ妻の面影。
ということはのことは求めていなかったのか?
馬岱の言う通り妻の代わりとしていたのか?
この前好きだと気付いたのはのことじゃなくて、
面影が好きだと気付いたのか?
「どうなんだよ…」
わからない。
自分が何を求めているのか。
これからどうしたいのか。
をどう想えばいいのか。
ふらふらと窓際へと歩いていくと、ふと窓から見えたのは西の空に輝く一番星。
そういえば最近星を見ていなかった。
まるでを見ていなかったように。
「…俺はどうすればいい?」
一番星は何も言わず、ただ西の空でピカピカと光続けるだけだった。


アトガキ
孫権と周泰さん登場!
周泰に高い高いしてもらいたいのは私の意見です(ぇ
4の資料設定だと2メートルあるって言うじゃないですか。(史実ではわかりませんが
きっと高い高いしてもらった赤ん坊は大喜びでしょう。
それと馬岱さんが強くでてきましたね。
馬超さんにズバッと言いました。ズバッと。
はやく戦に行かせたい(こら)のですが、まだまだ当分ですね…(ぇ
2007.2.26(Mon)