馬超は不機嫌だった。
物凄く不機嫌だった。
すれ違っていく人は皆廊下の端に寄り、今にも爆発しそうな馬超に少しでも当たらないように必死で避けていた。
馬超の後ろを歩く馬岱でさえ声をかけようともしない。
さっきから馬超が持っている書簡がミシミシと音を立てているので、
「徒兄上、大事に扱ってください」と言いたいところなのだが、今の馬超にそんなことは到底言えない。
何故こんなにも機嫌が悪いのかと言うと、1時間ほど前のこと。
あの後広間にはまだと趙雲と馬超が残っていた。
三人に話したいことがあると言われたので残ったのだ。
何の話だろうと耳を傾けると、諸葛亮がまず始めに言い出したのはに呉の陸遜のところへ行けと言う指示だった。
しかも護衛は趙雲のみで。
何故陸遜のところに行くのかと聞けば、
何やら呉はに服やら装飾品などを用意していたらしくそれを取りに行けと言うのだ。
馬超は「アイツが取りに行くことはないだろう?」と反論したがあっさりと跳ね退けられた。
この蜀に来てまで呉は何か事を起こす輩ではないだろうと諸葛亮に言われたのだ。
ただこれは諸葛亮から周瑜へのひそかな挑発で、
「目の前にいる標的に手が出せまい」と言っているようなものだった。
を挑発のために使うとは。
もしも何かされたらどうするつもりなのか。
馬超は段々苛立って、眉間に皺を寄せはじめる。
それに何故趙雲だけが護衛なのか?
出来る事なら自分もの傍にいたいのに。
「何故俺じゃない」とイライラしていると諸葛亮が平然として、
「馬超殿は執務ができてませんから、この時間にやってもらおうと思いまして」
と言い残して広間から去って行った。
そして今、こうしてイライライライラしながら書簡をミシミシ言わせている始末。
そのことを馬岱に愚痴ると馬岱は冷静に「徒兄上がちゃんと仕事をしないからですよ」と言った。
……そうだ。
そうだと分かっているから腹が立ってくる。
なんで今までちゃんとやらなかったのか…この日になって初めて後悔した。
今までサボってきた自分に呆れた溜息を送ると、今度は自分の情けなさに自己嫌悪したのだった。
一方はと言うと、庭の近くにある置石に座って久しぶりに会う趙雲と馬超の話で盛り上がっていた。
ちょっと前まで馬超と仲があまり良くなかったはずなのだが、
いつの間にかが馬超を字で呼ぶようになっていたのには流石にびっくりした。
前は「嫌な人」と嫌な顔をして馬超について話していたが、今では嫌な顔をせず楽しそうに話している。
そういえば馬超も馬超でに対する態度ががらりと変わっていた。
前に「和解する」とは言っていたが…。
見るところ和解を通り越しているような気がする。
それを確信したのは今日の食事の時見せたへの表情。
その表情は今までに見たことのない穏やかな表情で。
まるでに好意でも抱いているかのようだった。
一体この短期間に馬超に何があったのか。
「(あの馬超を手懐けるとは…殿はいい魅力を持っていらっしゃるのか)」
今度は使者達の話をしだすを見て苦笑する。
時々見せる笑顔に見惚れてしまうが…それも彼女の魅力の1つか。
…確かに一緒に居ると心が和んで心地よい気持ちになる。
こういう不思議な雰囲気を持つ者は他にこの世界にはないだろう。
馬超はきっとに惚れたな、と趙雲は確信した。
「殿、もうじき陸遜殿の部屋へ向かいましょう」
「あ…了解です!」
ぴっと額のところに手を持っていく見たこともない礼をして、は置石からたち上がった。
趙雲は「そういえば」と思い、先を行こうと廊下に上がるを引き止めた。
が「なんだろう?」というような顔をしてこちらに振り向く。
「少し聞いてもよろしいですか?」
「はい?」
「馬超が好きですか?」
「え?なんでですか?」
「最近仲がよろしいようなんで、少し気になりまして。」
「そうですね…最近はお兄さんみたいで好きですよ?」
「お、お兄さん…」
…馬超はきっとこれから苦労するだろう。
「そうですか」と言うと、苦笑して廊下にをあげた。
そして2人が向かう先は呉の陸遜の部屋。
趙雲と話しているときはあまりドキドキしなかったが、いざ部屋に行くとなると緊張してくる。
しかも相手は呉の人。
もし剣か何かで一突きされたらどうしようか。
ちらりと隣を歩く趙雲を見上げると、不安を察したのか「大丈夫ですよ」と微笑んで言ってくれた。
はドキドキしながらその部屋の前に立つ。
ちょっとだけ服をはたいてから扉を叩いた。
コンコン。
「です。」
「今開けます」
カチャっと言って開いた扉の隙間から、昼間に見た陸遜が見えた。
ただあの赤い帽子は被っていなかったが。
「どうぞ」と言われが趙雲に「ちょっとだけ待っててくださいね」と言うと、
先導する陸遜の後についていった。
部屋の中はちょっとした荷物がポツポツと置いてあるだけで、後は寝台の上にあの赤い帽子が置いてあるだけだった。
「(男の人の部屋って大体こんな感じで質素なのかな…?)」
馬超の部屋も結構質素だったし…。
だからと言って、何かのヌイグルミや何かがところ狭しと置かれてたら逆に気持ち悪い。
部屋のあちこちを見渡していると、陸遜が「どうぞ…って言っても私の部屋ではないのですが」と苦笑して椅子を用意してくれた。
「なんだかすみません。本当はこちらから伺いたかったのですが」
「いえ、いいんです!それに私の部屋は分からないと思いますし」
「そうですね……あ、そういえば昼に言ったこと覚えていますか?」
「はい。夜に会いに来るって言いましたね」
「2人っきりでどこかで落ち合いませんか?」
「お、落ち合う?」
「どうしても貴女とお話しが沢山したいんです…これは私事なので呉には関係ありません」
「…でも、私は…」
「やはりダメでしょうか?」
諸葛亮が言っていた。
「絶対に1人で会ってはいけない」と、念を押してに言い聞かせていた。
多分このことを相談すれば「ダメに決まっているでしょう」と言われるに違いない。
も陸遜とは色々と話してはみたいが、夜に2人っきりとなるとやはり良心が許さない。
この件についてはきっぱり断ろう。
「あの、それはやっぱりダメです。」
「そうですか…」
もし本当に私事だったら、夜にこっそり自分と会っていたとなると他の呉の人に色々と責められるだろうに。
陸遜のためにも自分のためにも断ったのだが、陸遜の沈みようがチクリと心を痛めた。
まるで叱られてしょんぼりしている子犬のようだ。
会うのがダメなら…と、頭にぴんと浮かんだことが思わず口に出た。
「…なら文通…」
「文通ですか!…とてもいい案ですね!」
「(あちゃーーーーー!!!!!)」
「これなら諸葛亮先生も許可をくださるかもしれませんね…」
「あははは…(漢文書けないのにどうしよう…!!!)」
「これからはいつどこで会えるかもわかりませんし…手紙なら届けてもらえますしね」
ぱぁっと笑顔になる陸遜。
それを見てちょっと複雑な気持ちになった。
「では今日から書きますので。許可は後でとりに行きますから」
「は……はい、わかりました(陸遜さん行動早いなぁ…)」
「ならば護衛の方も待たせているようですし、早くお渡ししたいものを出しましょうか。」
陸遜は机の上に置いてあった長方形の箱を持っての前に置いた。
「開けてみます?」と言われたので、そっと箱の止め具を外してパカッと蓋を開けた。
「すご…!!!」
中に入っていたのは陸遜の服のような綺麗な赤い服で、その他にもキラキラと輝く金色の首飾りなどが入っていた。
なんだか宝箱のようだ。
こんなに高そうなものを貰ってもいいのだろうかとは心配したが、
陸遜が「遠慮しないでください。それに害のあるものは入れてませんので」と言って箱の蓋を閉めた。
「さて、護衛の方にこれを持ってもらいましょうか。」
「自分が持ちます!」
「…相当重いですよ?」
「だ、大丈夫です、きっと!(趙雲さんに迷惑かけたくないし…)」
「そうですか?」と陸遜がに箱を渡す。
そんなに重くはないだろう…と思っていたのだが、腕が抜けそうなくらい重たかった。
必死になって抱えていると、クスクスと陸遜が笑い出してから箱を取り上げた。
「今の様子では一歩も進めませんね」
「…みたいですね…(こんなに私か弱かったのね…)」
というよりもここの世界の人々が力がありすぎるだけなのだが、は自分の力の無さにややショックを受けた。
結構力はある方だと思ってたのにな、と渋々陸遜に箱を趙雲のいる入り口まで運んでもらい、
趙雲にはその箱を部屋まで運んでもらうことにした。
「短い時間でしたが、とても楽しかったですよ」
「私も楽しかったです。また会ったときにでもお話ししましょうね」
「はい!」
陸遜に軽く手を振りは趙雲の後ろを歩いていった。
その去っていく後ろ姿に陸遜は手を振ると、急いで部屋に戻った。
寝台の上に置いてあった帽子をいつもの通りに被る。
「さ、諸葛亮先生のところに行ってみましょうか」
文通なんて柄じゃないけど、形はどうであれと交信できるのならば喜んでやろうではないか。
はどんな字を書くのだろう?どんな話題を出してくるだろう?
まだ出来るかどうか分からないが、心は一足さきに軽快なリズムで弾んでいた。
こんなにワクワクしたのは初めてかもしれない。
陸遜は鏡に映る嬉しそうな自分を見て「まるで子供ですね」と笑うと、軽い足どりで部屋を出た。


アトガキ
だんだんうだうだしてきましたが、22話完成。
今では珍しい文通案が出てきましたね。
最近ではメールばかりですからね…紙がやや恋しくなる時があります。(何
それにしても馬ーは子供っぽいですね笑
イライラするとき歯軋りしてそう…汗
それでは読んでくださってありがとうございましたv
2007.2.24(Sat)