いい匂いがする。
まるで香梅のような優しい香りが馬超の鼻をくすぐった。




「(もう朝か…)」




久しぶりによく眠れた気がする。
いつも起きようとするときに感じる体のだるさがない。
多分それは自分の近くで寝ているのおかげだろうか。

「まだ寝てるだろうな」と思いつつ少し目を開けると目の前にはぐっすり眠っているの寝顔。
あまりにも無防備な寝顔に少し苦笑する。
時々むにゃむにゃと何か言ってるがなんと言っているのかわからない。




「何言ってんだ、お前?」




また苦笑すると、ポンポンと頭を叩いてみた。

……反応は、ない。

そういえばなんだかと近いな…と思っていたら、自分はちゃっかりの寝台に入っていた。
どうせ寝ぼけて入ってしまったに違いない。
「ふあぁ」と大きな欠伸を漏らすと、まだ寝ているの隣にまた寝転がった。


はというとまだ何かをブツブツと言っている。
気になって面白半分で耳を傾けていると、だんだん唸され始めているのに気が付
いた。

サッとの顔色が急に悪くなる。

そして何かを嫌がるように頭を横に振っては手で宙を仰ぎ始めた。







「……やめて…お願いだから…」

…?」






前に休養室で寝ていたときも同じようなことを言っていた気がする。
馬超はの不安そうに彷徨う手を握り、軽く体を揺すった。







「やだ…熱い…」

「おい、?!」

「…死にたくない……」

「それは夢だ!起きろ!」




ひときわ大きい声で言うと、ぴたりとの唸り声が止まった。
かわりに閉じていた瞼がゆっくりと開く。
の頬に流れる汗をふき取ると、もう一度声を掛けてみた。





「おい、…」

「………また夢……?」





少し不安そうに辺りをキョロキョロと見渡したが、自分の部屋だということを確認すると、
ほっと安心して溜息をついた。

それを見て馬超も安心しての手を離す。
寝言からしてあの火事の夢でも見ていたに違いない。


「貴方のせいであの子は怯えるはめになったのですよ?」


火事…という言葉が浮かんだ後に、スッと嶺禮の言葉が脳裏に浮かんできた。
自分のせいでに怖い思いをさせたのだと思うと、申し訳なさが心を締め付けた。






「あ、李さんがいない…………って、なんで怒帰ってきてるの?」

「(……またか…)」

「喜は?哀は?どこにいるの?」

「お前はいつになったら見分けがつくんだ?」

「え、怒じゃないの?!」

「俺は馬超だ。アイツはここら辺に黒子があるだろう?」







そう言って左顎を指でさすと、の顔が一気に真っ青になった。
一度自分の頬をつねってみるがこの状況は夢ではないようで。

は信じられない!と言った顔で馬超を睨みつけた。






「…なんでここに居るの…?」

「あー…それはだな…」

「まさか顔に落書きしにきた…じゃないですよね?」

「いや、それは無い。」

「しかもなんで寝台に入って来てるんですか?」

「それは俺が寝ぼけて夜中入ったような…」








「…何もしてませんよね?」



「俺がお前に何かすると思うか?(いつかしそうだが…)」

「……思わない…」

「そうだろう?…それにここではな、親睦を深める時に一緒に寝たりするんだ。よく覚えておけ」

「そ、そうだったんですか……」






まさか愛しさのあまりここにきてしまったなんて恥ずかしくて言えない。
馬超がなんとかこの場をしのいだと一安心していたが、の後ろに何か恐ろしいものが立っているのが目に映った。
は気付いてない。


「(…孤立無援…だな)」


その鬼のような形相はしっかりと馬超を捕らえて、鋭い眼光が心臓の辺りを貫いているような気がする。
そーっと後退して寝台から降りようとしたが、李の鎌のような腕には逃げようがなかった。
馬超が自分より地位が高いと知りつつも、ガシリと胸倉を掴む李。






「ま、待て…誤解だ。俺はまだ何もしていない。」

「手を出さないように…と申したはずですが…?」

「(2人ってどんな関係なんだろ?ちょっと気になるかも!)」





李の殺気が漂う中、はのほほんとしていた。
「この2人がどういう関係なのか今度馬岱さんにでも聞いてみよう」と、頭の中で妄想劇を繰り広げていた。
恋人かそれとも夫婦か。
どちらにせよここでも恋の予感だ、ときゃっと心の中で小さく叫んでいた。

その間に馬超は李に物凄い力でひんやりとした廊下に投げ飛ばされていた。
そしてドゴォンという音が城中に響きわたった。






























「いてぇ……」

「大丈夫?馬超さん?」

「あぁ…あの女官そこらの兵卒よか強いぞ」

「(李さんって強いんだ…)」





馬超が軽い脳震盪を起こしてる間には「久しぶりに着ようかな?」と使者からもらった服を着て、
廊下に吹っ飛ばされた馬超を見に行った。
そして丁度今覚醒したところだ。

馬超は首の付け根辺りを強く打ったらしく、顔をしかめながら首をさすっていた。
色んな人から馬超は強いと聞いていたがその馬超を投げ飛ばすとは。
はとんでもない人が隣にいたんだな…と再度認識した。





「お前いつものように髪結ばないのか?」

「今日は櫛でとかせばいいかなって思ったんだけど…別に馬超さんが気にすることじゃないです」

「…可愛くないな、お前」

「朝から騒動起こすような人には言われたくないです」

「それは謝る。…ま、後で俺が結ってやる」

「え?!馬超さん髪結べるの?!」

「こう見えて手先は器用な方だからな。…その前に俺の部屋に行く」

「ちょ、なんで私まで?」

「どうせ朝食食べるんだろう?一緒に食ってやる。その前に着替えさせてくれ」

「(なんで私が行かなきゃならないのかなぁ…)」

「なんだその嫌そうな顔は?」

「別にー…。あ、後姜維さんも誘おう!」

「…姜維か」

「嫌なんですか?」

「別に」






そう言ってツンとしながらの腕を掴んで廊下を歩いた。
「なんだか変な馬超さん」と言ってみたがどうやら聞こえていなかったようで、
馬超はそのまま廊下を進んでいった。


部屋の前に着くとの腕を掴んだまま部屋の中に連れ込んだ。
は慌ててじたばたと暴れだす。






「ちょっと!!!私入りませんよ!!!」

「俺の着替えを手伝え」

「したことありません!!!」

「この俺が丁寧に教えるから手伝え」

「教えられるなら自分で着替えられるでしょ…?」

「どうしても俺にはできないものがあるからどうにかしてくれ」

「はぁ…」







渋々馬超に引っ張られて部屋に入ると、案外質素な内装に少しびっくりした。
兜はあんなに派手なのに…と部屋の中をグルグル見渡していると、
馬超が「あまり見るな間抜け」と言ってきたのでキッと睨みつけてから目線を馬超の背中に移した。
男の人をよく見ることはないが、少しだけ馬超の背中に見入っていた。

今思えば男の人に腕つかまれたりしなかったなぁ…なんて思っていると、
馬超がクルリと後ろを向いての腕を放した。





「そこらへんで待ってろ」

「はいはい」

「置いてあるものに触れるなよ?」

「はいはい…」





そう言いつつもやはりそう言われると触りたくなるものだ。
寝台の近くに置いてある机の上に山になった書簡を眺めていると、机の端に何やら耳飾のようなものが置いてあった。
それは片方しかなく少し金属部分が錆びていた。



「馬超さんがつける…わけないよね」



きっと女の人用だろう。
緑色の宝石のようなものをじっと見つめていると奥の部屋に行っていた馬超が自分の服を抱えて帰ってきた。
今日は少し兜が違う。
前の房のついた派手な兜ではなくて、もっとシンプルなものだった。
シンプルといってもやはり派手なのは派手なのだが…。




「馬超さんその兜新しいの?」

「いや、前からあるやつだ。それより手伝ってくれ」

「わかりましたー…」




は一度溜息をつくと馬超の元へと歩いた。
するとパサッと服を投げられて思わず避けてしまった。
自分では某ボクサーのように避けれた!と1人感激していたが馬超の米神はピクピクとしているのを見て、
慌てて落ちた服を取りに行った。





「お前なぁ…今度黄忠殿の矢の的にしてもらうぞ?」

「ごめんなさい…」

「まぁいい。コレ脱がしてくれ」




「…え?!!」




「嘘だがな」


「もう!からかわないでください!」

「すまんすまん。ならコレ持ってろ」

「…なんで私がこんなことしなきゃならないんですか…」


「俺付きの女官がいなくなったから」

「女官?」

「ほら嶺禮だ」

「……そ、そっか」

「どうやらこの城からも出て行ったようだ」

「(いなくなっちゃったんだ…)」





「もうここには居ないんだ」と、ほっと胸を撫で下ろした。
何故ここから出て行ったのか聞きたかったが、馬超の表情が硬いところからこれは聞かない方がいいんだろうと判断した。
余所見をしているとまた服を投げられて顔面にクリーンヒットした。





「何処見てるんだ、お前は」

「別にどこだっていいじゃない…って、きゃー!!!」

「ん?なんかいたのか?」

「馬超さん上半身裸!!変態!!!」

「…お前それくらいではしゃぐな…」

「だって家族以外で初めてなんだもん…」

「(ってとこは生娘か?)」





顔を真っ赤にして少し顔を違う方向へとそらしているを見て、
馬超はニヤリと笑うと上半身裸のままの近くに立った。




「おい。」

「ふ、服着ました?」

「お前が持っているやつなんだが?」

「は、はい!!これ着て!!」

「着せてくれ」

「嫌です!」

「じゃないと俺はこのままだぞ」

「子供みたいなこと言わないでさっさと着てください!」

「なら着せてくれ」

「…………もう!なら後ろ向いててくださいよ?!」




わかったよ、とニヤニヤしながら後ろを向くとが服を背中にかけた。
の手が背中に当ってちょっとくすぐったい。
もっとからかってやろうと思ったが、流石に怒りだすといけないので馬超は服に腕を通して、
次の服に手をかけた。




「最初から自分で着たらいいのに…」

「どうしてもお前に手伝ってもらいたかっただけだ」

「どうせからかって楽しむためなんでしょ?…性質が悪いよ…」

「(なんでそう来るんだよ…)」




はぁ…と盛大な溜息を漏らすは、馬超から視線を外して先ほど見ていた耳飾を思い出した。




「ね、馬超さん。机の上の耳飾は誰の?」

「……」

「聞いてます?」

「……昔綺麗だったから拾った」

「ふーん…」




だからあんなに錆びてるのかな、と思っているとまた馬超から何かを投げられた。
今度は服じゃなくて結構長めの白い帯のようなものだった。
これなんだろう?と考えていると馬超が「こっち来い」と手招きをした。





「腰紐。これが難しいんだ。結ぶのにコツがいる…」

「私はどうしたらいいんですか?」

「そっちの端を持っておけ。俺がこっちを引っ張るから同時に引っ張れよ?」

「わかりました(普通のちょうちょ結びじゃないんだ…)」





2人で悪戦苦闘しながらもようやく腰紐が結べた。
これであとは兜を被るだけ。
馬超はちょっと派手な兜を被らずに手に持つと、またの腕を掴んで部屋から出た。





「馬超さん腕持つのやめてくださいよ…」

「なら姜維のように手でも握ればいいのか?」

「…腕でいいです」

「それにさんはつけるなと何回言えばわかる?」

「だって呼びにくいんですよ?馬超ってなんだか呼びにくい!」

「…人の名前にケチをつけるな。なら孟起さんと呼べ孟起さんと」

「孟起?」

「おれの字だ。」

「あっそう。なら孟起さんね…(字ってなんだろ?)」





孟起孟起と何回か呼んでいると馬超の耳が少しだけ赤くなったような気がした。

2人が向かったのは姜維の部屋なのだが、もう姜維はおらず。
「絶対諸葛亮殿のところだろうな」と馬超が言ったので、諸葛亮の部屋に行った。


近くまでやってくると物凄い破壊音と悲鳴が諸葛亮の部屋から聞こえた。
「敵襲か?!」と思い、馬超が扉を急いで開けるとそこには、
黒煙をあげて倒れている姜維と優雅に微笑んでいる諸葛亮の姿があった。

置いてあった机や棚が所々焦げていて、なにか戦争でも起きたような状況だった。
はすぐに姜維に駆け寄ると軽く頬を叩いた。






「姜維さん?!どうしたんですか?!」

「…殿…」

「一体これは…。諸葛亮殿、この惨状は一体どうしたのだ?!」

「姜維が大切な書簡をなくしてしまったので罰をあたえただけです」

「大切な書簡?」

「天狼の姫についての書簡ですよ。」





諸葛亮はハタハタと白羽扇を仰ぎながら椅子に座った。

なんと姜維は不覚にも諸葛亮から預かった大事な書簡を第2倉庫付近でなくしてしまったらしい。
その時も一緒に居たが書簡のことについてはわからなかった。
掃除中姜維は書簡のことを思い出したのだが、すでにその書簡はなく。
第2倉庫付近を何度も探したが全く見つからなかった。


そして今朝謝りに行ったところ…このようなことになってしまったのだ。


姜維はまだクラクラとして意識を半分飛ばしている。
「可哀相に」と馬超とが思っていると、諸葛亮がポツリと静かに呟いた。







「あ、ちなみにもうすぐしたら呉の方々が見えますよ」






「へぇ…」

「いきなり来るものなんだな」









「「って、本当(か)?!」」





2人の声がはもると、お互いに咳き込んで咽た。
諸葛亮は「仲が悪そうに見えて本当はいいんですね」とホホホと笑って、
窓の外から見える空を眺めた。


「(呉が来る前に天狼の姫についての情報を隠そうと思っていたのですが…困りましたね)」


まさか弟子の姜維がなくしてしまうとは。
きっちりとした彼が大事なものをなくすなんてありえない。
もしかするとこれは何か不吉なことでも起こるのではないだろうか?


「(よからぬ事が起こらなければよいのですが…)」


願わくばその書簡を誰かが拾っていてほしい。
そう思いながら部屋の方に向き直ると馬超とが姜維を肩に担いで部屋から運ぼうとしていた。
周りを見渡すと、棚やその他家具などが少し焼け焦げていた。

我ながら派手にやってしまった。

と思いつつも、日ごろ溜まっていた疲れが吹っ飛んだような気がして気分だけは晴れ晴れとしていたのだった。







































ところ変わって、呉の船の上ではもうじき着くとの報告により皆がわいわいと騒ぎだしていた。
特に甘寧と凌統はまたいつものように喧嘩を始め、その中にまた孫策が入っていたがそんなことはどうでもいい。

陸遜はもうじき見えてくる蜀の地に少し心弾ませながら、天狼の姫のことも考えていた。




「(今日中には会えるのだろうか…)」




早く会ってみたいという気持ちからか心臓が早鐘を打っていた。

誰かに早く会いたいと思うのはこれが初めてかもしれない。
しかも相手が女の人だなんて、自分にとって不思議なものだった。
自分を取り巻く女の人は皆、自分についてくるから会いに行くことはない。

それも自信過剰な人ばかりではっきり言って一緒にいたくない人たち。
毎日声を掛けられて笑顔で返すのは苦痛で仕方が無い。

今回も女官が何人か付いて来るが、多分誰かの取り巻きが多いだろう。
こんな時までもついてきてもらうと逆に迷惑だ。







「(どうか蜀で静かに過ごせますように…)」





それと天狼の姫と仲良くなれますように。
そう願った時、兵から到着の報告が遠くから聞こえた。
















アトガキ


やっとこさここまで来たゾ・・・汗
李さん強いです。姜維なんだか弱いです笑
馬超の行動がだんだんエスカレートしちゃってますが…。
まだまだヒロインには近づかせてやらないぞ!(大丈夫?汗
さてさて、呉の方々やってきました。
ちなみに小喬大喬もきてます。

2007.2.18(Sun)