今日の蜀は朝から慌ただしかった。
兵士や将、女官や文官が机やら椅子やらなんらかの荷物を持って廊下を行ったり来たり…。
まるで蟻が餌を巣に運んでいくような感じだ。


はというと、そんな廊下の様子を医療室の窓から覗いて見ていた。
傍には月英が微笑んで椅子に座っている。


馬超はというと起きた時にはもう寝台に姿はなく、かわりに月英がそばの椅子に座っていた。
星彩と同じく果実の皮を剥いて、に食べるよう勧める。
「馬超さんは…?」と果実をかじりながら聞くと、月英は微笑んで「街の方に行ったようですよ」と言った。

こんな朝から買い物かな?と果実をムシャムシャ食べていたが…なんだか落ち着かない。
月英があまりにも見つめてくるので何回か果実を布団に落としてしまった。
この間の粥の御礼もしたいが…そんなに見られるとなんだか恥ずかしい。
こんな時使者の3人がいたらいいが、今彼らは出掛けている。

しかも街などではなく星だ。


『怒』は「姫さんに必要な物持ってくる」と言っていた。
必要なものって?と聞いたが3人はニマーッと笑うだけで答えようとはしなかった。
一体何を取りに行ったのか…。

星には誰か1人が行くのかと思ったが、どうやら3人揃っていくようだった。
3人そろっていないと星にある門が開かないらしく、更に星に行って帰る期間が一週間かかるらしい。

…と、言うことはこの一週間あの3人がいない。

食事中が騒がしくなくなるのだが…やはりいないと寂しい。
それに夜も1人で寝ないといけない。
別に1人で寝てもいいがあの火事以来1人が怖くなったようで、1人でいるときは少し息苦しく感じるようになった。
まるで煙りを吸っているような感覚に陥ってしまうのだ。


が溜息をついていると月英が心配して覗き込んできた。






「どうかしましたか?これ…美味しくありませんか?」

「いえ!!とても美味しいです!!…ただちょっと寂しいなと思って…」

「使者の方々はいつも貴女の傍で楽しそうにしてましたからね…この一週間ほど我慢してくださいね?

私もお傍におります」

「そんな!わ、私は1人でも大丈夫です!……その、あの…」




緊張して言いたいことがまとまらずアタフタしていると、月英がクスクス笑い出した。





「ふふふ…様は面白い方ですね」

「な、なんだか緊張しちゃって…私月英さんに御礼もしたくて…」

「御礼、ですか?」

「二日酔いしてた時にお粥をもらいました」

「御礼なんていりません。我が夫の勝手で貴女をここに呼び出してしまったこと…深く詫びております。」

「え?!そんな全然気にしてませんから大丈夫ですよ!!」

「ですが…」

「私、ここに来た時は少し不安でしたけど…今ではここに来てよかったって思ってます。あの3人もいるし、

蜀の皆さんもいますし…あ、馬超さんは意地悪ですけど……蜀に来たこと、後悔はしてません」




家族や友達にに会えないのは寂しいし心細い。
だけど自分の回りでこんなすごい体験をした人がいるだろうか?

……きっといないだろう。

ならば、この不思議な体験を思う存分味わってやろう…この蜀に天下を、乱世に
終止符をうってやろうと、は考えたのだ。


は最後の果実を口に入れると、寝台から立ち上がった。





「どこへ?」

「星彩に会いにいこうかななんて思ったんですが…」

「この時間なら…きっと鍛練場ですね。私も行ってよろしいですか?」

「はい!一緒に行きましょう!」

「ではご案内しましょう」






女神のように微笑む月英にとろけそうになったが、頑張って形状維持をして後をついて行った。
こんなに素敵な人を娶って…本当に諸葛亮は幸せ者だ。
それなのに天狼の姫の自分を呼んで短命になるなんて…。

もし諸葛亮が死んだら月英さんは…。




「(……私、月英さんに悪いことをしたんじゃ…?)」

「はい、着きましたよ…………様?」

「……。」

「どうかなさいましたか?」

「あ…いえ、なんでもないです…」





きっと悲しむに違いない。
もし自分さえ呼ばなければもっと一緒にいられたのに。

…自分は恨まれてはないだろうか?

そう思っていると、頭のどこかであの女の人の声が響いた。



『憎い』



もしかしたら自分がここに来たことで色んな人に迷惑をかけているのでは?
だからあんなことされるのでは?
きっと馬超にも何か迷惑をかけたのかもしれない。
だからあんなに気に食わないと言っているのかもしれない。


グッと心臓が縮んだような気がした。







「あら、…どうしたの?」

「…星彩!」

様が貴女に会いたいと言ってましたので…私もついでに来てみました。」

「月英殿も…立って話すのもなんなのでそこの椅子に座りませんか?」

「いいですね。…様、どうぞお座りになってください?」

「ありがとうございます…(どうしよう、月英さん直視できないや)」





は微笑んで話す月英と星彩の後ろにくっついてすぐ傍にあった椅子に座った。
近くにあった木にはもう雪の跡はなく、もうじき春を迎えようとしている。
その木に立てかけてある星彩の武器を見つめていると、星彩と目が合った。





「なんだか気分がよくなさそうね。どうしたの?」

「…そうかな?いたって元気だよ?」

「私も気になります…今日はいつも見ている様ではないようで…」

「そ、そんなぁ…大丈夫です!ただちょっとあの3人がいないから寂しいなって思って…」

「そうね…あの使者達が来てから蜀は賑やかになったわ。」

「孔明様もよく笑うようになりましたよ?」




あんなに笑う孔明様は見たことがありません、と笑う月英がどうしてもには見れなかった。
自分はその諸葛亮の命を短くしたのだ。

罪悪感がキュッと首を握り締める。

その後色んな話が出たが、は耳を通りすぎるだけで中々頭には入ってこなかった。
必死に笑顔を取り繕っては話にうんうんと頷いていた。


「(私ってすごく嫌な奴だな)」


こんなことじゃ嫌われちゃうよ、と言い聞かせてもちっとも話は頭に入ってこなかった。















「もうお昼ね…それにしても沢山話したわ。」

「ええ、女同士でお話しするのもたまにはいいものですね。」

「また機会があればまたこの3人ではなしましょう…そしてが元気なときにね」

「え?」

「どんなに隠そうとしてもばれてしまうわ」

「ご、ごめん星彩…」

「どんな悩みを持っているのかわからないけど…もしよければ相談して?」

「私も相談に乗ります」

「は、はい…(月英さんには言いにくいんだけどな…)」




がはははと苦笑していると、星彩にポンと頭を叩かれた。
きっと「無理をして笑わないで」と言いたいのだろう。
苦笑を止めて「わかってるよ」と今度は微笑んで呟いた。

すると今度は後ろから思いっきり抱き上げられた。
…こんなことをするのはもう大体分かっている。




「は、離して!!」

「よ。女の会の邪魔して悪いな。」

「馬超殿…が嫌がってる」

「ほう…ならとことん嫌がれ嫌がれ。」

「私子供じゃないんだから!」

「餓鬼だろ?」

「馬超殿止めてあげてください。様は今色々と悩みごとがあるようですよ?」




にやりと月英が星彩に微笑む。
それを見て星彩もにやりと微笑んだ。




「馬超殿、これからどこかへ?」

「ああ…昼からコイツの馬術の指導をするから厩へ行くが?」

の悩み聞いてあげて」

「……俺が?」

「いやだ!この人に言ってもわかってくれないよ星彩!」

「……いいだろう、この俺がお前の悩みを聞いてやろう」

「お願いしますね馬超殿」

「ちゃんと相談するのよ

「え!!!2人とも?!」

「よし、相談は後だ。まず飯だ!」

「ぎゃーーーーー!!!降ろしてください!!!」






は馬超に横に抱かれたまま(まるで米俵を持つように)、鍛錬場を去って行った。
その後ろをニヤニヤとして見守る月英と星彩。




「…これからが楽しみですね、月英殿?」

「ええ…なんだかわくわくしますね星彩?」




不気味に笑う2人の後ろを兵士達が5メートルほど離れて通っていったのは言うまでもない。
いかにも怪しいオーラが辺りを包み込んでいた。

ただ、そこより少し離れた部屋からは違う何かが漂っていた。































「…」

「そう拗ねるな。」

「…おかわり」

「お、お前食べすぎじゃないか?!」

「…」

「…すまんって…」




食堂に着くや否や、料理長や食事をしていた張飛と劉備と関親子に米俵抱っこを目撃され、
はすっかり機嫌を損ねてしまった。
いくら温厚なでもあれは怒る。

しかもあの関羽の養子の関平にクスリと笑われて物凄く恥ずかしい思いをしたのだ。
もうお嫁にはいけないと顔を真っ赤にして逃げるように遠くはなれた席に座った。
それを見て馬超は腹を抱えて笑ってしまい…。


「馬超…さんの馬鹿!!!」


と、更に機嫌を悪くさせてしまった。
そして今はお茶碗3杯目の米を食べている。
食べる速さと量が半端じゃない。
まるであの使者達のような食いっぷりだ。




「こうなったのもきっと関平…お前のせいだよな」

「拙者でござるか?!」

「お前が笑うからコイツこんなことになってるんだぞ」

「そ…それは申し訳ないことを…」

「いえ、関平さんは悪くないですから。悪いのは全部この人です!」

「…よ、そこまで気分を害さなくても…」

「兄者、殿は女子なのだ。恥ずかしい思いをしたのだろう」

「それにしても面白い光景だったな!馬超、お前も心を入れ替えたのか?」

「俺はからかってるだけですよ」

「(派手兜め…)」




はゴクゴクと杯の水を飲み干して、空になった茶碗達をを食堂の奥に持って行った。
キレて食べまくったのはいいが、はっきり言ってお腹がはちきれそうだった。
これならもう晩御飯はいらないだろうと、少しお腹をさすって席に戻るともう劉備たちはいなかった。

馬超によると劉備たちは城の大掃除をしにいったらしい。
ここの一番偉い人が掃除をするのに自分は悠長に馬術を習っていていいのだろうか?
素敵な部屋は用意してもらっているし、服や靴も沢山買ってもらっているし…。
申し訳ないので自分も掃除に行きたいと馬超に頼んだところ、
馬術を早めに切り上げて一緒に手伝いに行こうということなった。





「ほう、サボらないんだなお前」

「私は真面目ですから」

「俺だったら岱に見つからないような場所で昼寝だな。」

「…呆れちゃう」

「なんだと?」

「馬岱さんも苦労してるんだろうな…」





まるで手のかかる子供みたい、なんて言ってみたら案外馬超は薄く反応するだけだった。
もっと「お前のほうが子供だろう?」とか言ってくるかと思ったのだが。

どこか微妙な雰囲気に包まれながら厩に到着すると馬超は自分の愛馬を引き連れてきた。
今日は赤色の鞍をつけていて、「時代劇に出てきそうな馬だな」とは思った。
そんな絶影の鼻筋をそっと撫でていると馬超がをひょいと抱え愛馬に乗せた。




「わっ!」

「今日はそこらへんを走るだけだ」

「一緒に乗るの?」

「嫌なのか?」

「嫌ではないですけど…」

「なら問題ないだろう?」




馬超は軽々との後ろに跨ると、絶影の手綱を引いていきなりすごい勢いで走り出した。
その反動では馬超の鎧に後頭部を打って少しひるんだ。

そういえば初めてここに来たときもこんな感じだった気がする。
あの後お尻が究極に痛くなったことを思い出してどうしようかと思っていると、馬が急に歩きだした。





「掃除前に尻が痛くては何もできんだろうからな。今日は歩くだけにしておいてやる。」

「(よ、よかった…)」

「…それで、悩みとはなんだ?」

「あー……」




馬超に「あーじゃないだろう?ほら、言ってみろ」と言われて急に心臓の辺りが重くなったような気がした。
とてもじゃないが言いにくい。
それにこの馬超だって自分が来て迷惑してるかもしれないのに、
自分が迷惑かどうかの相談なんてできるだろうか?


「(きっと無理だ、相談なんてできないよ…)」


こうやって自分の悩みを聞くのも馬超にとってはつまらないものかもしれない。
そう思うとなんだか無性に泣きたくなってきた。

なんで泣きたくなったかは自分でもわからない。
ただ息が詰まるくらい悲しくなった。




「(ダメダメ!ネガティブ思考はダメ!)」



多分今声を出してしまったら震えた声になってしまうだろう。
だからは自分の頬を両手でパチンと叩くとグッと涙が出るのを堪えた。
そして苦笑して「悩みなんてこれっぽっちもないんだから」と嘘をついた。

いつものように明るくしていればいい。
悩みごとは表に出さないように考えなきゃ。
極力みんなに迷惑かけないようにしなくちゃ。


「(ポジティブに行かないとね!)」


こんなにクヨクヨするなんて自分らしくない、と自分に言い聞かせた。
もうこの話は止めて違う話をしたほうがいいだろう。
もっと楽しい話をしようとは馬超の兜について話そうとしたが、
いきなり馬超が後ろから頭を叩いてきて、話し出すタイミングを逃してしまった。





「な、何するんですか!」

「お前…本当に嘘下手だな」

「嘘じゃないって、悩みは無いの!」

「ほーう…まだ言うか。ならこの泣きそうな目はなんだ?」

「!」





ぐにぃっと後ろから目じりを摘まれた。
そしてぐるりと後ろを向かされてじっと見つめられる。




「痛い」

「泣くなら前を向いて泣け。横を向くと俺にばれるぞ?」

「……泣きません」

「本当か?」

「本当です」

「なら、…何故そんな泣きそうなんだ?」

「…違います」

「なら俺によく顔を見せろよ?」



「……っ」





折角我慢しようって決めたのに。
馬超の顔を見るとさっきまで中で留まっていた涙がいっきに溢れた。
我慢しようにもこの涙は止まらない。

それを馬超がそっと親指で拭った。




「ほら、言ってみろ?俺がちゃんと聞いてやる」

「…でもっ」

「…やっぱり先に泣いておけ。その後に聞いてやる」

「…馬超さん、私のこと気に…入らないのになんで、私の悩みを聞くのっ?」


「それは…」







何故だろう。

自分でも分からない。



出会ったころは本当に気に食わなかった。
どうしてもあの面影と重なってしまうから。

なのにどうしてだろう?

今こうして気に食わない奴の涙を拭っている自分。
どうかコイツの悩みを解消させてやりたいと思う自分。

抱きしめてやりたいと思っている自分。




きっとそれはが気に食わないんじゃない。


それはきっと…
















「馬超様、馬岱様がお呼びですわ」




を抱きしめようとしていた腕がぴたりと止まる。
馬超の視線を辿った先にいたのはとても綺麗な女官だった。




「嶺禮……」

「どうやら急ぎの用事のようでしたので、お呼びに参りました」

「…そうか。」

「(この声…)」




は自分の耳を疑った。
嶺禮の声は…あの声にそっくりだ。

あの刺さるような冷たい声。
あの時と同じトーン。

この人まさか…?

そう思っていると、自分の体がわずかに震えだした。
不意に馬超の服を握り締める。
それに気付いた馬超が心配そうに尋ねた。



「おい、どうした?」

「……なんでも…ない」



自分に向けられる殺気のようなものがひしひしと体に伝わってくる。
怖くて直視できない。
は下を向いていたのだが、嶺禮はこちらに歩みよってきてのすぐ傍まで来た。


「(幽霊に会うのよりも怖いよ…)」


見たくないのに目がどうしても嶺禮を見ようとしている。
どうしても我慢できなかったは恐る恐る嶺禮を見た。

彼女はにっこりと微笑んでいた。
瞬きもせずに。

そして彼女の口元がゆっくりと動き出した。












「…様、またお会いできましたね?」













は確信した。

この人だ。
この人が放火した人だ。


目を離そうにも離せない。
まるで呪いにでもかかったように嶺禮の瞳に釘付けになったまま。






「(どうしよう…私この人に殺されそうな気がする…)」







今までにない不安の波がの心に押し寄せた。
















アトガキ


なんだこれは…!!汗
もう何がなんだかわからないぞ!汗
…ということで、ヒロイン放火の犯人と遭遇です。
嶺禮(りょうれい)と読みます。
なんだかヒロインがネガティブ子になってますが、
元は明るい子なので、根暗ではありませんよ?汗

馬超もなんだか自分の気持ちに気付いちゃった…?みたいな感じですかね。
第2章からはどんどん敵が増えますがね笑

2007.2.14(Wed)