がこの時代にきて初めての夜を迎えた。
あの古井戸に飛び込んだ時は夜だったのに、ここに着いた時にはまだ夕方近くだった。
どうやら現代からここへは少しばかり時差があるらしい。
夜手前になると秀麗は昼間に買ってきたという食材で晩御飯を作りだし、
もそれを手伝うことにした。
炊飯器も冷蔵庫もガスコンロもない時代。
やったこともない釜戸の火起こしに、それはそれは苦労した。
静蘭はと言うと、邸の外に出て旦那様…秀麗の父親を迎えに行っていた。
秀麗の父親は府庫の管理をする人で、とてものんびりとした人と秀麗が言っていたが一体どんな人なのだろうか。
秀麗のようなきびきびとした娘を育てたのだからきっと威厳のある人なんだろう。
一瞬自分の祖父を思い出したが…多分全く違う人種だよ、とケラケラと心の中で笑った。
麦を入れた釜(秀麗が「麦、見たくない」と言ったので代わりに釜戸にかけることにした)を釜戸にかけ、
蓋をするとふいに秀麗が話しかけてきた。
「ねぇ、はどんな仕事がしたいの?」
「ん?」
どんな仕事、と聞かれ現代のバイトが頭に浮かんだ。
コンビニのレジ、スーパーの品並べ、ウェイトレス…皆この時代にはなさそうなものばかり。
なんとなく頭の中に挙げたレジやウェイトレスだったが、実際男勝りで少し不器用なには少し不向きなものだった。
「力を使う仕事ならなんでもいいさ」
そう、倉庫とかの整理でもいいし物を運ぶような頭を使わない純肉体労働系。
頭を使う仕事は面倒だと思うし、はっきり言って単純な仕事の方が自分には向いていると思う。
「ったら本当に女の子らしくないのね…普通女の子は力仕事を嫌がるのに」
「力馬鹿なんだからしかたないっしょ!」
裁縫や料理はまともに出来た試しがないし(できるとしたら卵焼きや波縫いのみ)、
客相手にいつもいい顔ができるかどうか…全く自信がない。
「で!どんな力仕事があるんだよ?」
「そうねぇ…米蔵門番とか…?」
米蔵門番…。
一瞬木の棒か何かで米蔵に入ってくるネズミを退治している場面が浮かんだ。
…それはそれでいやだ。
「あとは運搬とか…でも女の子は雇ってもらえないわよ…?」
「わからないさ、そんなの。男のふりすりゃあなんとかなるっしょ?」
「それ、いいね」
「ぎゃっ!!!!!?」
「あ、父様!」
秀麗の父は厳しい人。
そんなイメージがあったため、自分を不審者として静蘭のように剣をこちらに向けてくるのでは…?と、
は「斬られませんように!」と目を強く瞑った。
が、いくら経っても刃は当たることはなく。
大丈夫なのか…?と、そっと目を開けると優しそうな顔つきで微笑む男の人と苦笑している静蘭がいた。
静蘭に笑われるのはどこかカンに障る。
でも、斬られなくて良かった。
「この子が静蘭が言っていた井戸の精霊かな?」
「(…静蘭め…)」
秀麗の父にまで…。
もう普通に自己紹介してもいいんじゃないか?
秀麗も静蘭も事情をちゃんと知っているというのに、秀麗は静蘭が井戸の精霊と信じきっていると思い込み、
静蘭は信じきったふりをして自分をいびろうとしている。
しかも性悪静蘭は自分が本当のことを秀麗に言おうとするとすぐに邪魔に入る。
会話を中断させたり秀麗に変な用事を任せたり。
だからこちらも普通の自己紹介が変にしにくいもので。
今ではもう諦めて井戸の精霊人生を全うしてやろうかと思い始めている。
こんな小さい事にこだわるのなんて止めだ、止め。
苦笑しながらも意地悪そうな目を向ける静蘭を無視して秀麗の父にきちんと礼をした。
「はい、井戸から来ました」
「ほう…これはまた不思議なことが起こるものだね…」
「そ、そうなのよ父様!って言うのよ」
慌てて横から口を出した秀麗だったが、慌てた様子を隠そうとして微笑んでみた…が口元がぴくぴくと引き攣りあまりにも不自然すぎて、
「それは嘘です」と言っているようなものだった。
そんな様子に気付いたのはと静蘭のみ。
秀麗の父、邵可は「って不思議な響きの名前だね…うん、いい名前だ」と疑う様子もなく微笑んでいた。
…ここまでくるとどこぞのじいさんを思いだす。
神主のくせにボケボケして…。
秀麗の父は威厳のある人だと思っていたので、少し期待していた分そのイメージの違いに落胆の色を隠せなかった。
「で、さっきの話なんだけど…さん」
「でいいですよ」
「なら。私が勧める力仕事、やってみないかい?」
「え、父様…それって…」
「旦那様…」
秀麗と静蘭の顔色が段々と蒼白になっていく。
「私は朝廷の府庫で働いてるんだけど…どうだろう。男に変装して働きにこないかい?
働きにと言っても私の手伝いだけども…」
「朝廷…」
「と、父様、そんなことできるの?!」
「んー…できるんじゃないかな?今手伝いを募集してるしね」
それに禄は多めだし、とニコニコとして話す邵可を秀麗と静蘭は溜息混じりで眺めていた。
…二人の反応を見るとあまりよろしくない話であるのは確か。
大体朝廷とはどんなところかまだ分からない。
日本史で習う朝廷と同じようなものだろうか?
「邵可さ…」
「ちなみに仕事内容は本を運んだりするだけだから簡単だよ。」
「でもですね…」
「明日の夜に答を聞こうかな?」
「…」
言いたいことが言えないじゃないか。
しかもには否定権もないらしい。
「明日は城の近くまで秀麗と一緒に見に行ってみるといいよ。後、服は静蘭からもらいなさい。」
「…はい」
何も言い返せず、ガックリと項垂れたまま横目でちらりと静蘭を見た。
あんな腹黒さの塊から服を借りるなんて後が怖い。
それよりも府庫で働くことを前提に事を進められているような気がする。
結局は府庫で働くようになるんだろう…。
それなら考える時間なんて必要ない。
は邵可に「府庫での仕事、受けますよ」と言って溜息をついた。
すると調理場がしんと静まりかえる。
「、…本当にやるの…?」
「やるけど…やったらダメだった?」
「いやいいの。ただ…」
「なら大丈夫ですよお嬢様。きっとよくやってくれます」
静蘭がやや厭味っぽく言うと、少しだけ青くなっていた秀麗の顔が元の元気な顔色に戻った。
そしてガバッとの手を持つと目をキラキラさせて希望と期待を含めて口を開いた。
「しっかり仕事して禄をたんまりもらってね?!父様の禄の管理、ちゃんとさせてあげてね!?」
「は、はぁ…わかったけどさ…」
稼げ!と言わんばかりの気迫に押されて「禄って何?」と聞きそびれてしまった。
それにしてもこの家庭はそれほどまでに貧乏なのか…。
邵可が朝廷で働いているとなると、もっといい暮らしができているのでは?と、
思うのだが…これは何か色々と事情がありそうだ。
はこれから頑張ってかなきゃな…と、ふと邵可を見ると「うーん…」と顎に手をあてて困ったなぁと呟いていた。
「どうしたんですか?邵可さん」
「そういえば…君が井戸から出た後、井戸は枯れてしまったらしいね」
「はい…それが何か?」
「あれが我が家の唯一の水源なんだけど…困ったねぇ…」
「え」
がヒクリと苦笑したと同時に秀麗は急いで水瓶の中を見た。
薄ぐらい瓶の中の水はもうほとんど無かった。
煮物でも作ればすぐにでも底をつくだろう。
秀麗はヘナヘナと瓶にすがりついた。
「ご、ごめん秀麗…」
「いいのよ…隣の家にもらいに行くから…」
「そうだね、お隣さんに私から言っておくよ。…それと、あの井戸には近づかない方がいい。
静蘭に連れられて少し見に行ったのだけど…、何か嫌なものがいるような気がしてね。」
妖怪じゃないならいいけど…。
あの井戸はきっと現代に繋がっているはず。
そして戦国時代にも。
だから変な妖怪が井戸から出てきてもおかしくはないだろう。
妖怪が出てくるかも分からない井戸。
ならばこれから毎日井戸の様子を見に行ってみよう。
一応これでも妖怪を倒すという姉のかごめの妹だ。
少しくらいは役立つはずだ。
それにこれ以上秀麗たちに不幸を味わせたくはない。
「さて秀麗の美味しい夕餉はまだかな?」
「あ!麦ご飯!」
パカッと蓋を開けると少し端の麦が焦げていたが、食べれない程焦げてはいなかった。
今夜はお焦げ麦ご飯と秀麗の美味しいおかずが食卓を飾ったのだった。


アトガキ
はい、やっぱり閑話が入りました(閑話ともいえないものだけど。
お父ちゃんでましたね〜…というか静蘭が腹黒設定になっていく…!汗
…紅家はどうも生活水を失ったようですが笑
次こそは仕事に行きますよv(本当に?汗
いきなり朝廷に手伝いに行きましょう!
2007.3.27(Tue)